さよならブルートレイン 新幹線とバスには勝てず?

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   寝台特急 上り2列車「さくら」 1977年11月27日国府津駅 客車は14系

皆様お早うございます。
先週の金曜日と昨日はフッチー(フチグロトゲエダシャク)日和でした。
そして週末は例によってほぼ曇天の有様でした。
もう以前の様な金曜休業の体制は終わり(仕事が来ていて良いことです^^)、
出荷もあるのでおいそれとは休めません。また虫撮りはおあずけでした。

ロケハンでいろいろ撮っていますが、今回は土曜からダイヤ改正でとうとう
定期運用が無くなってしまったブルートレイン:寝台特急:東京発着列車を
特集してみました。写真は同時プリントLサイズのスキャンです。

私が子供の頃、ブルートレイン20系だけでした。その呼び名もまだ無く、
ただの寝台特急でした。
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    寝台特急 上り「あさかぜ」(多分博多発の2号) EF65 533?
                         1977年2月10日 東京駅
東京発の「さくら」「はやぶさ」「富士」「みずほ」「出雲」「瀬戸」、
上野発の「はくつる」「ゆうづる」みんな20系で、EF65500 EF58 EF80など
電気機関車が牽引して、カニ21 マニ20 カニ22などの電源荷物車
連結されていました。そしてほとんどの列車が食堂車付で、運転時間の短い
列車以外は夕食、朝食(1部長距離は昼食)を食べることができたのでした。
当時は物価が安い時代(高校時代缶コーラ250mlが50円→60円)でしたが、
寝台特急は高嶺の花で、私は昼行特急すら乗せてもらえませんでした。

カメラは贅沢品で、高校の修学旅行用に買ってもらった当時「バカチョン
カメラ
(操作が簡単でバカでも撮れるという意味)」と呼ばれていた部類の
コニカC35を使って大学生頃から本格的に鉄道旅行を記録し始めました。
と言っても初期の頃は資金が無く、よく関東近郊で駅撮りをしていました。

やがて特急寝台客車も24系14系が出て、更に25形が登場。さくら
はやぶさ富士などはこれら新型に交代し、あさかぜだけが20系
残っていましたが、これも置き換えられ、捻出された20系は新設の
あけぼの」「北陸」「北星」「安芸」などに投入されました。
更に格下げされ、夜行急行に使用される仲間も出てくるように。
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   寝台特急 上り「富士」 1977年11月27日 小田原駅 左は153系急行型
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    寝台特急 上り「富士」  1977年2月10日 東京駅
右に写っている横須賀線(113系)は当時東海道線と同じ線路を走って
いました。客車は24系25形100番台、電源車はカニ24、隣には格下げ
された20系急行「銀河」が見えます。
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    寝台特急 上り「はやぶさ」  1977年2月10日 東京駅
雪をまとって終着の東京駅13番線に滑り込んで来ました。引いているのは
当時の東京発着寝台特急の象徴とも言えるEF65 500番台です。
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       寝台特急 上り「あさかぜ1号」 1977年11月27日 新橋駅
博多発着便の客車は20系でしたが、下関発着の便には新型客車
24系25形:オール2段式B寝台の100番台)が導入されていました。
右奥には山手線103系高運転台型クハ103が見えます。
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       寝台特急 上り「瀬戸」 1977年11月27日 新橋駅
客車は24系25形100番台電源車カニ24 100番台です。下り線には
横須賀線113系が写っています。
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  寝台特急 上り「出雲」と引いてきたEF65 509  1976年8月2日 東京駅
当時の撮り鉄の少年たち(私もやや上の同年代:笑)が写っています。
2枚目はこの時乗車した165系ごてんば1号」(153系155系)「東海1号
と併結)の窓から撮影。写真は39年経過で部分的に変色、全体も赤っぽく
変色していたので補正してあります。(他も同様)
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   寝台特急 上り「紀伊」(「いなば」と併結)  1976年8月2日 東京駅 
客車は14系、牽引はEF58型電気機関車ですが、すでに反対側に移動した
後でした。
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       寝台特急 上り「みずほ」 1977年11月27日 国府津駅
客車はトップ写真の「さくら」と同じ14系電源車を持たない分散式と呼ばれた
発電用エンジンを床下に搭載したタイプで、緩急車のスハネフ14エンジン
がありました。私も乗車しましたが、就寝中エンジン音が聞えました。
うるさいと言う程でもなかった感じです。

このすぐ後、故宮脇俊三氏の紀行本「時刻表2万キロ」が刊行され、鉄道旅行
ブーム
が訪れます。当時の国鉄は寝台特急を「星の寝台特急」とネーミングし
旅行シーズンには寝台券があっと言う間に売り切れる状況でした。
各地の寝台特急L特急と共に増発が相次ぎ、駅は活気に満ちていました。
ブルートレインという言葉が出て来たのもこの頃だったでしょうか。
私の乗り鉄人生もここからスタートしました。その模様はまたの機会に披露
することにします^^。

しかし時代は移ろい、新幹線が発展して博多や盛岡まで進展、スピードも
当初時速210キロだったのがどんどん早くなって時速300キロに近づくよう
になりました。夜行の移動も列車一辺倒だったのが安いバスがじわじわと
出て来ました。夜行バスは初め国鉄の独壇場で、民間は東北急行バス
くらいでした。しかしご存じのように今では全国各地へ夜行高速バス網が
整備されています。こうして徐々に衰退して行ったブルートレイン:寝台特急
は終焉を迎えたのでした。

では今日はこの辺で、
閲覧ありがとうございました!次回もお楽しみに!

この記事へのコメント

2015年03月18日 23:11
こんばんは、今日も楽しく拝見しました(笑顔
とっても懐かしい写真ばかり、、もうビックリです。
そして、とても丁寧な解説が嬉しいですね。
ブルートレインは永遠です、、想い出の中に、、そして、鉄道模型の世界で、、、。
いつもランキングにご協力ありがとうございます。
つばさ2号
2015年03月23日 23:44
OTSUKYONさん こんばんは
ありがとうございます!

仕事でちょっときついギリギリ納期のを
受けたら、客の図面ミスでトラブって
100台分も穴を10か所明け直しで
金曜は9時近くまで、土曜も休日出勤で
応援をもらって7時まで組み立てし、後
片づけで結局8時過ぎまで残業でした。
何とか今日の出荷に間に合わせました。
そんなこんなで折角の早春も余裕を持って
楽しめません。輪をかけて月末は期末棚卸し
で落ち着きません(苦笑)。

ブルートレインは私の旅をいつも彩って
くれました。フィルムの充填ミスで空転し、
DF50が引く「富士」の宮崎~西鹿児島間を
「昼寝乗車」した貴重なシーンを撮り逃した
苦い思い出などもありましたけど^^。
牽引機もEF58,EF65500,EF651000,EF66
EF30,EF80,EF81,EF81300,ED731000,ED75
ED75700,ED76,DD51,DF50と一通りお世話に
なりました。
「あさかぜ」のステーキ、「はやぶさ」では
うな重、「富士」のビーフシチューなど食堂
車も楽しめました。そういえば「みずほ」は
末期で簡易営業のコンビニ弁当みたいでした。
こういう旅はクルーズトレインだけになって
しまう採算社会はとても寂しいですね。

ちなみに最後の乗車は1985年上り「あさかぜ
4号」オハネ25-108 牽引はEF6642号機でした。
2015年06月15日 20:21
ブルートレインの全盛期時代ですね。
私が、鉄道写真を撮り始めたころは、東京発の寝台特急は臨時の「あさかぜ」に辛うじて20系車両が使用されていました。現在の在来線には長距離寝台特急の姿はサンライズのみ、なんとも寂しいものです。
記事を見ていて小学生の頃のワクワク感がこみ上げてきました。
つばさ2号
2015年06月16日 00:51
GAKUさん ありがとうございます!

そうですね、ブルートレインと特急は当時
全盛でした。子供の頃は特急はお金持ちの
乗り物という感じでしたが、大学生時代は
ちょっと奮発すれば何とか乗れました。
583系の下段寝台が1600円でした。

子供の頃は貨物も多かったですね。
EF15、EF62(信越用)、末期はEF651000
の引く貨物列車がしょっちゅう来ました。
こういう状況をリアルタイムで体験できた
のは幸せでした。
裕福でない上、旅行代に予算を使って余り
フィルム代に回せなかったことは少し後悔
してます^^。

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