四季 生き物達の風景

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zoom RSS あの頃 星と太陽の下で輝いた寝台電車

<<   作成日時 : 2017/04/04 23:12   >>

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     5M はくつる   クハネ583-18  1976年 3月16日 青森駅
回想 寝台電車 前編
夜半の上野駅、今では新幹線のエリアとなって消滅したはずれの地平
ホーム。当時は20番線まであり、北へ向かう長距離列車が並んでいた。
長く連なった濃い青とクリームの車体、青森行寝台特急ゆうづる号
発車の時を待つ。細い折り戸の横で別れのキスをするカップル。

理系男子校から工業大学(今でこそリケジョは多いですが、在学当時は
女子同学年は2名)へ進んだ私はどちらかと言えばダサい、女の子とは
あまり縁の無い若者で、このシーンは憧れとうらやましさを伴って強烈な
印象を残しました。


今回は久々の国鉄シリーズ、先日引退が報じられた寝台電車の思い出
を綴ってみます。 写真はサービスサイズプリントのスキャンです。
乗車してない先頭車の車両番号は間違いの可能性があります(奇数側
偶数側が合わない記録あり 但し:向き反転はありうる)のでご容赦下さい。


時代を形作る建物や乗り物などが超近代的に変わりつつあった頃、今迄
機関車牽引客車オンリーの寝台特急に画期的な車両がデビューしました。
月光型581系交直流両用寝台座席兼用特急電車です。大阪圏から九州
へ向かう路線に夜は「月光」昼は「みどり」として華々しく登場したこの電車
は一躍人気者になったのです。
今でこそ向かい合いBOXシートは特急にふさわしくないという意見が大方
ですが、当時はそんな疑問を私は持ちませんでした。家族で乗るならその
方がいいと思ったのでしょう。

そうは言っても関東の裕福な家でも無いガキの私が関西の特急列車に縁が
あるはずもなく、鉄道雑誌で見るだけの存在でした。
余談ですが、私が親にねだってやっと買ってもらったHOの鉄道模型、架空の
ED58機関車と貨車が数両、後に165系急行型3両と電機3両(2両自費)でした。
当然買えるはずの無い581系を裕福な家の友人は買ってもらっていました。
別の友人は165系急行「佐渡」を13両フル編成で揃えていました!

それからしばらくして関東の東北本線にも昼は「はつかり」、夜は「はくつる」と
して交流50ヘルツ対応可能な583系寝台電車がやってきました。
登場後すぐは関西と同じクハネ581型先頭車が使われましたが、私は全く
記憶がありません。いくら鉄道好きでも小学生でしたから^^。

はくつる」は以前EF58電気機関車の引く20系客車で、京浜東北線の車中
から並走する青森行を見たことがあります。
高崎線沿線の私は東北線夜行は子供の身では目にする機会は少なかった
ですが、昼間の「はつかり」はたまに出かけた折に見ました。颯爽と走り去る
食堂車付の13両編成はかっこよさそのものでした。


東京の高校に通うことになり、583系は身近になりました。483・485系
キハ181系つばさ」と共に毎日見ることが出来たのです。
私のネーム つばさ2号は土曜の半日授業で帰る時、大宮駅7番線から出る
大宮始発の高崎線115系電車の発車を待つ間、隣のホーム高崎線用8番線
483・485系13両の仙台行「ひばり6号」に続いて発車するキハ181系
秋田行3D「つばさ2号」からもらいました。
8番線から出るのは東北線用9番線にEF56牽引の荷物列車が居座っていた
ためです。これもEF56電気機関車がシューと大きな音と共にボイラーの黒煙
と蒸気を吹きながら貨物線をポイントを渡って9番線へホーム中途から入って
来る姿が思い出されます。マニ36マニ60が混ざった編成でした。

昔は特急・急行は貨物線を通る列車が多く、下りは大宮停車の場合9番線
にホーム中途から入って来ます。従って9番線は高崎線用8番線より先へ
ホームが長く伸びていて停車位置がかなりずれています。高崎線の列車は
発車後先のダブルクロスを渡り高崎線へ入ります。ヘッドマーク付の165系
13両の急行「佐渡」が中途から9番線に入って来るシーンを憶えています。
逆に貨物線経由では無いですが、7・8番線から発車した東北線列車はやはり
このダブルクロスで東北線に戻って行きます。貨物線経由の大宮通過の特急
は東北・高崎共にホームの無い11番線を通過して行きました。
このシーンもクハ180「あさま」の後ろ姿を憶えています。


学校帰りの夕方、上野駅を出て行くのは583系 1M「はつかり5号」です。
常磐線経由の「みちのく」と共に北海道連絡特急の使命を担っていました。
日産スカイラインのCMに使われた「ケンとメリー 愛と風のように」で有名な
BUZZの曲にもなりました。
16時頃上野を出て県庁所在地のみの停車、昔は特急は大宮通過でしたが、
この頃は大半停車するようになっていました。しかし「はつかり5号」は大宮
通過でした。日付が変わる直前の深夜に青森着、0時過ぎの青函連絡船に
接続して翌早朝函館に到着します。そして4時台に出る釧路行おおぞら1号
と旭川行北海号に連絡していたのです。


そんな夢のような国鉄優等列車全盛期ですが、移り変わりはすでに始まって
いました。
キハ181系つばさ」はある時485系に替わりました。クハ481-200が先頭
に立つ一般形で、耐寒型485系1000が出来るまでの暫定措置でした。
下校後上野駅でEF5861に牽かれたキハ181系が西へ旅立つ姿に遭遇した
のはそんな交代劇の後のことです。
西日本では新幹線が博多まで伸びて、九州行の寝台特急は岡山発着だった
のがまた変化しようとしていました。そんな時私は高校の修学旅行で九州へ
向かいました。
行きは新大阪から寝台特急、帰りは長崎から寝台特急「あかつき」のはずでし
た。しかし当時頻発していた国鉄春闘のストライキが計画されたため、帰りは
宮崎からフェリーで帰ることになり、非常にがっかりしたのを覚えています。


私の家は社宅住まいを解消するため、父が現在住んでいる一戸建て住宅団地
を抽選で手に入れたのでローンを抱え「贅沢は敵だ!」状態でした。従って生ま
れてこの方国鉄の急行は乗ったものの特急は一度も乗ったことが無い身の上
でした。海水浴に行った帰り、157系あまぎ」をねだり、父は珍しくその気に
なりましたが、当時のレジャー人気はすさまじく、当然のごとく満席で乗車は叶
いませんでした。
そんなわけでその高校修学旅行が国鉄特急初体験となったのでした。


その記念すべき特急初乗車は新大阪発大分行3011M「彗星3号」でした。
憧れの581・583系寝台電車です!
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   上り彗星3号    1977年 7月21日  大阪駅(記事とは無関係)
カメラは父が持たせてくれましたが、団体行動ゆえ駅撮りなどできません
でした。班長を押し付けられた私は見返りに広い下段寝台を得ました^^。
3号車10番下段 モハネ583−35 川崎車両製 所属:門ミフ(南福岡)
残念ながら581系には当たりませんでした。

定刻に発車した「彗星3号」は姫路、船坂峠、岡山、広島とひた走りました。
べネシャンブラインドのついた窓から夜の山陽路を眺めて、ほとんど眠る
ことができませんでした。記憶に残っているのは持参したキャンディ「小夏
ちゃん」と深夜の駅に停まる80系湘南電車クハ86丸形3枚窓初期型が
レトロな白熱電球の室内灯を灯していた光景です。
この後小倉で下車し、後続の「にちりん1号485系に乗り継ぎました。

高校卒業直後、初めて一人で鉄旅に出ました。丁度今頃の季節、乗り込ん
だ列車は上野22:20発 5M「はくつる」 もちろん583系です。乗車車両は
クハネ583−18 川崎重工製 盛アオ(青森運転所)所属 13号車9番下段
1番前の青森方でした。当時の下段寝台料金は3000円でした。
翌朝目覚めると日詰、石鳥谷あたりを走行中でした。外は曇り空で小雪が
ちらついていたかもしれません。どのくらいかは思い出せませんが、遅れて
青森に到着しました。(トップ写真)
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    到着する後続のゆうづる3号 クハネ583 1976年 3月16日 青森駅
大学入学前の私に大金の旅費があるはずもなく、とんぼ返りで帰京です。
青森からは上り「はつかり3号」に乗車、向かい合わせのBOX座席でした。
そうこれも583系です^^。モハネ583−4 日本車両製 盛アオ 4号車3番B
席 仙台までの乗車でした。食堂車は恐れ多くて(実際は金欠:汗^^)乗れず、
小牛田で牛肉弁当を買って食べました。
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   24M 上りはつかり3号 1号車 クハネ583  1976年 3月16日 仙台駅
    後ろには建設中の新幹線ホームが見える。


仙台でED71電気機関車を写し、「ひばり9号」に乗って福島へ。これは
485系でした。福島ではED78EF71を写しました。
そして夕刻の福島で後続の「ひばり10号」に乗り込みました。しかしこれが
悲劇の始まりでした。13両のはずが3両減車の10両でやって来ました。
自由席なので座れません。食堂車に居座るなどという術も鉄旅ビギナーに
はおこがましく、ましてぎりぎりの旅費では使えません。大宮まで立ちんぼ
を覚悟しました。
乗った8号車はモハネ582−82 日立製作所製 盛アオ でした。またまた
583系です。さて栃木県に入ったところで止まってしまいました。何でも
架線にビニールが引っかかったとのこと、ちょっと走ってまた止まるを繰り
返して一向に着きません。しかもこの車振動が半端では無く、マッサージ機
付きでした(笑)。
とうとう払い戻し規定に達する遅れとなり、特急料金は戻りました(苦笑)。
それにしても5時間立ちんぼは若者の身でもけっこうきつかったです。
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   1020M 上りひばり10号 ?号車 クハネ583 1976年 3月16日 大宮駅
この年はその後、夏は名古屋から飯田線で長野へ抜ける旅行しかせず
583系とは縁がありませんでした。


翌年は夏に新潟から寝台特急「つるぎ」で大阪へ行き、特急「雷鳥」と
20系北陸」を乗り継いで帰って来ました。その時撮ったのが下の2枚。
上の「彗星」もその時に撮影したものです。
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      上り なは クハネ581   1977年 7月21日 大阪か京都駅
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    上り 明星6号 クハネ581-7 1977年 7月21日 大阪か京都駅
    この車は正面の貫通扉(連結用ドア)が衝突事故に遭い修理した
    せいで使用(使ってませんでしたが)を止め、埋めて塞いである


さてその翌年、乗れなかった食堂車に挑戦すべく選んだ列車は・・・。
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  1007M ひばり4号 仙台行でした。13号車  クハネ583-16 大宮駅
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  1007M 下りひばり4号 1号車 クハネ583-6 1978年 3月22日 仙台駅
乗車した車はモハネ582−5 汽車会社製 盛アオ 8号車3番D席
食堂車サシ581−6 日本車両製 盛アオ グリルドチキン定食を
いただきました。担当は日本食堂でした。
この後急行「仙山2号」で山形へ抜け、485系1000の「つばさ2号」で
帰って来ました。


大学も3年くらいになると貯めた小遣いとアルバイトで稼いだ資金で遠出
ができるように・・・。まず行ったのは北海道でした。
583系には乗りませんでしたが、帰りの青森駅で写す機会がありました。
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      上り みちのく クハネ583-14 1978年 4月23日  青森駅
向こう側にも583系が見えます。たぶん「はつかり」でしょう。
へそ曲がりの私はこの後羽越線経由の「いなほ2号」で帰りましたが、さすが
にノンリクライニングの485系の長時間乗車で尻が痛くなり、大宮で降りて
しまいました。(苦笑)青森-上野全区間乗車放棄です^^。


その年の夏は九州へ出かけました。今ほど物価は高くなく、小倉から東京
まで帰りに乗った「富士」は特急料金+A寝台個室で12800円でした。
ブルートレイン廃止直前の価格は寝台料金だけで13000円超えだったよう
です。
この時はカメラのフィルムが空転していて九州の撮影分が全部パーでした。
乗車は8月4日 「金星」 小倉-博多間 クハネ581−21 日立製作所製 大ムコ
12号車1番A席 自由席(寝台を翌朝解体し座席利用)だけでした。
口惜しいので残金をかき集め、親に借金して秋に再訪、撮り直しをしました。
下のカットはその時のものです。
ヘッドマークは絵入りになる過渡期で、「金星」は前が絵入り、後ろは旧文字
でした。
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      下り なは クハネ581-23 1978年 9月23日  博多駅
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      下り 明星7号 クハネ581-15 1978年 9月23日  博多駅
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      下り 金星 クハネ581-34 1978年 9月23日  博多駅
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      下り 金星 クハネ581-13 1978年 9月23日  博多駅
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      下り 有明2号 クハネ581-31 1978年 9月23日  博多駅

今思えば古き良き(親方日の丸の悪しき?)のんびりしていた国鉄が
なんとなく近代化して来たのがこの頃だった気がします。
駅撮りの東北本線と常磐線、それぞれ夜行の雄。
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      上り はくつる クハネ583-23 1978年 10月14日  上野駅
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   上り ゆうづる14号 クハネ583-10 1978年 10月14日 上野駅
この10月ダイヤ改正から下りが奇数の1・3・5・・・・号、上りが偶数の
2・4・6・・・号と上下で号数が分けられるようになりました。


さて1980年(昭和55年)の夏、大掛かりな鉄旅に出ました。
153(155,165)系大垣夜行で出発、グリーン車サロ163に乗車。
名古屋から新幹線で新大阪へ、そこからキハ80系はまかぜで明石へ。
はやたまの普通寝台と381系くろしおや近鉄特急、キハ80系南紀
乗り回して名古屋へ戻り宿泊。そこからキハ80系ひだで高山へ行き、
さらに高山線を北上して富山へ出ました。

その時駅撮りしたのは関西唯一のクハネ583の編成でした。
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       彗星6号 クハネ583-27 1980年 8月 5日  大阪駅
富山で宿泊し翌日、翌々日は「雷鳥」を楽しみました。
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       いずれも雷鳥6号        上:1980年 8月 8日  金沢駅
                下:クハネ581-32 1980年 8月 9日  高岡駅

乗車したのは8月9日 モハネ582−42 近畿車輛製 大ムコ 2号車6番A席
でした。食堂車はサシ581−20 川崎重工製 イカの姿焼きとライスの昼食
を食べました。


登場から10年以上経過し車体にくたびれた様子が見えて来た581・583系
でしたが、まだまだ第一線で活躍していました。雷鳥乗車の年の秋の駅撮り。
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       みちのく クハネ583−4 1980年 10月 1日  上野駅
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       みちのく サシ581−9 1980年 10月 1日  上野駅
翌年の春、大学卒業後就職前に2回目の北海道へ向かいました。
上野を「やまばと」で立ち白石から417系で利府へ、仙台へ戻りそこから
みちのく」に乗車しました。先頭はクハネ583−18で5年前の「はくつる
以来の再会となりました。
乗車はモハネ582−56 日本車輛製 8号車3番C席でした。
食堂車サシ581−32 日本車輛製 でスパゲティの夕食、終着に近づいた
デッキの折り戸から外を見ると雪が暗い世界を白く覆い始めていました。
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       みちのく クハネ583−18 1981年 3月16日  青森駅
定刻に終点に到着。 ♪青森駅は雪の中♪ 北へ帰る人の群れに
混ざって青函連絡船に向かいました。


その年の夏は山陰に出かけましたが、当時の国鉄二俣線に乗り、東海道
線で新大阪へ、そこから「なは」のグリーン車に姫路まで乗りました。
サロ581−18 日立製作所製 大ムコ 5号車3番A席でした。
最後尾の先頭車はあの前を塞がれたクハネ581−7でした。
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       なは クハネ581−7 1981年 8月 2日  新大阪駅
真夏の西陽を浴びて発車を待つ「なは」。
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       なは サロ581−18 1981年 8月 2日  新大阪駅
姫路で下車した私は播但線に乗り換え和田山へ、そこから夜行普通列車
山陰」号の寝台車で米子へ向かったのでした。


それからピークを過ぎていた夜行列車は台頭してきたバスに押されたり
社会経済構造の変化で乗客が減り始め、国鉄は車両を増備すること
無く徐々に衰退をして行きました。新幹線網の発展や航空機の値下げ
、その後の格安化で客が減って行きました。昼行特急の食堂も廃止が
進み、583系も間もなく食堂車が外されてしまいました。
没落の歴史の始まりですが、そのあたりの事は後編に記すことにします。


今回も閲覧ありがとうございました。 次回もお楽しみに!

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは、、懐かしい寝台電車のオンパレード、、しっかり楽しませてもらいました(笑顔
またいつの日か、復活するってことはないでしょうね(涙
OTSUKYON
2017/04/08 23:56
OTSUKYONさん
いつもありがとうございます。

とうとう引退しましたが、私が小学生の時
に登場した形式なので、今まで持ったのが
奇跡かもしれません。それもユニークな車
両ゆえ の役得だったのでしょうね。
寝台電車はサンライズに受け継がれてはい
ますが、あれは直流車なので別物と思って
ます(笑)。
何回も乗りましたが、寝台は最初の2回だ
け、もっと乗っておけばよかったと思いま
すが未乗列車を優先してしまいました。
つばさ2号
2017/04/09 23:31
おはようございます。
懐かしい電車の数々。よく画像が残っていますね!
私は乗ったことがないものばかりです。
遠くまで電車で行った思い出がさぞ甦ってくることと思います。
ゆったりと時間をかけて行くのも贅沢なんだと感じました!
MIYAKOUTA
URL
2017/04/11 05:38
MIYAKOUTAさん こんばんは
ありがとうございます。

当時「バカチョン」とよばれた小型カメラ
父が修学旅行に持たせてくれたコニカ
C35は大学進学後に私の所有になりまし
た。フィルム代がかかるので撮り放題
とは行きませんでしたが、結構写しま
した^^。フジの100年プリントは結構色が
残ってます。
今思い返すと本当に貴重で濃密な時間
でした。

しかし下車して野山へ行かないと虫には
会えず、せいぜい大牟田駅のトイレで
でナガサキアゲハ オスに初対面したくらい。
あそこまで行ったならもう少し虫の産地
へ足を延ばすべきでした(笑)。
まあやはり車が無いと無理でしたけど。
つばさ2号
2017/04/13 22:51

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